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_(:3 」∠)_

ななたつの思い出2

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 人生なんて、本当に何が起こるかわかったもんじゃなかった。














1.


 
 他人や父から祖父の昔話を聞いたときは、何の冗談を言っているんだ、なんて思ったものだった。
 現在は宝石商を営んでいるおじ様曰く、とある日に車で信号待ちしていると、何やら歩道を工事している人たちがいて、しかも何やら言い合いの喧嘩していたらしいのだが、暇だったので観察していると、喧嘩していた片方が相手を殴り倒し、バケツを頭に被せ、そのままスコップで滅多打ちにした挙句掘り下げた穴に蹴落としていたとかなんとか。なんだあいつ外道かよ、と顔を見たらうちの祖父だったり。
 他にも仲裁していたら相手が籠城したので玄関を蹴破って入っていっただの、父が学校から帰宅したら窓から人が突き破って出てきただの、父が木刀で一騎打ちすることになってボコボコにされたのだの、父の姉が門限ミスっただけで顔面が腫れ上がって誰かわからないぐらい殴られたりなど、何やら無駄にバイオレンスだわ怖いわで、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。それぐらい暴力的な人だったらしい。
 俺からしても、よく怒鳴ったり物を壊したりする人というイメージが強く、あまり近づきたくない存在だったのだが、我が家では祖父が当主だったので特に何も言わず。なんか祖父がルール、のようになっていたのである。
 とはいえ祖母や両親がカバーしてくれていたらしく、言うほど子供である俺や姉に被害はなかったので平和に暮らせていたのだが、ある事件をきっかけに嫌というほど思い知ることとなる。
 始まりは、長年祖父に連れ添っていた祖母の死であった。

 バブル崩壊だのなんだので自殺者が半端ない数になった時代だったか。
 当時、会社の金を切り盛りしていたのは祖母だったようで、祖母が病によって亡くなってからトントン拍子で借金だの何だのが判明し、何やらマジで凄まじいことになっていたらしい。
 たまに当時のことを父が教えてくれるのだが、想像を絶することの連続だったようで、なぜか代表者である祖父は知らぬ存ぜぬでなんの役にも立たなかったとも言っていた。どういうことなんだろうか。謎である。
 そんなわけで実質会社の経営者であったであろう祖母の死から四ヶ月後、なぜか専務が突然亡くなった。
 話によると蜘蛛膜下出血だったか。祖母が連れて行ったのではないか、なんて噂されていたのを覚えている。
 責任者が連続で2人も死んだことによって、父はこのとき「次は自分か祖父だ」と予感したらしい。
 祖父が死ぬなら状況は何も変わらないが、このとき祖母の全てを受け継ぎ、会社の代表となってしまった父が死んだ場合は、残された妻、子供もろとも泥沼となり、挙句の果てには祖父に振り回されて最悪な人生を送らざるをえないことになってしまうかもしれないと、父は思ったそうだ。
 そう焦った父は大急ぎで保険屋を呼び、己の保険金を約三億ほど上げたとかなんとか。ちなみに母上には『もし俺が死んだら個人での保険金を握って逃げろ』と伝えていたらしい。修羅場すぎかよ。
 だが、このときは父の行動を誰もが疑った。そんなことあるはずはないと。

 しかし、父の予感は的中した。
 もっとも最悪な形で。

 祖母の死が1月、専務の死が5月、そしてその四ヶ月後の9月だった。
 父は交通事故を起こし、さらには細菌に侵され、病院のICUに入るほどの重体となった。
 俺と姉はよくわからないまま母に病院へ連れて行かれ、着用していた衣類を滅菌されてある部屋へ通された。それがICUだと知ったのは大きくなってからだったが。当時小学二年生だった俺にはよくわからなかった。

 だが、目の前のベッドで寝ているのが父なのはわかった。
 脇においてある大量の医療機器や身体に繋がれた線の数から、危篤であることがわかった。
 父の右足が付け根から無くなっていたことも、わかった。
 俺たち家族が、最悪な状況になっているのだと、わかった。
 目の前の光景が現実なのだと、理解した。

 母は声を押し殺して泣いていた。
 姉は父に泣き縋った。
 そして俺は、ただひたすら立っていた。涙すら流れなかった。
 このまま父が死んだら、誰が母と姉を守るのだと、本能的に考えていた。


 その日から、母は家へと帰らず、病院で付きっきりとなった。
 医師から「いつ死んでもおかしくない」と言われている状況というのもあって、父の心臓は、何度も何度も止まったらしい。気が狂うほどだったと、母は語った。
 
 そして、俺と姉は家へと送れられた。
 騒がしかったリビングにはもう誰もいない。
 家に帰っても「おかえり」と声をかけてくれる人も、掃除をする人も、ご飯を作ってくれる人も、学校の話を聞いてくれる人もいなかった。
 俺たち姉弟は、互いに縋って生活する他なかった。
 だが事情は理解していた。どうしようもない状況なのだと。
 当時の姉は小学3年生で、俺は2年生だったが、状況を理解していたので何の不満を吐かなかった。

 ただ唯一の誤算は、祖父の存在だった。


 食卓にて怒号が飛ぶ。
 なんで怒ってるのかもわからないし、泣いても泣いても許してはくれなかった。
 それまで学校の勉強やゲームしかしてこなかった俺と姉にとって、その生活は異質なものだった。
 祖父の言われるままに買い物をし、ご飯を作り、酒に火をかけて刺し身を切った。足が届かなかったので台を使った。
 切り方がわからず指を切った。そして怒鳴られた。さっさと切れと何度も怒られた。
 掃除が下手だと叱られた。
料理が下手だと怒られた。
 怖くて怖くて、何度も泣いて、怒られた。
 泣くんじゃないと怒鳴られた。
 早起きして姉と手を繋いで学校へ行って、学校が終わったらご飯の買い物へ行き、祖父のために酒や刺し身の用意を怒られながらして、夜になると洗濯物を干した。
 その頃は冬だったので、外がとても寒かった。凍えるようだった。雪も降っていた。
 だがきちんと干さないと怒られるので、冷える指先の痛みに涙を流しながら、姉と2人で頑張った。
 つらい、母さんに会いたいと洗濯物を干していたときに俺が泣きじゃくったこともあった。
 それを見た姉は、自分も泣きたいであろう状況にも関わらず「大丈夫、そこにいて。わたしがやるから、たつはそこで見ててね」そう言って、手を震わせながらも、背の届かない物干し竿に洗濯物をかけていった。今でも忘れられないことだった。自分はお姉ちゃんだからと、そう自分に言い聞かせるようにしていた姉が、印象的だった。

 だが、子供とはやはり凄いもので、きちんと学習していくのである。
 怒られるのは嫌だ。ならどうすればいいか。
 叩かれるのは嫌だ。ならどうすればいいか。
 本来ならば遊びや勉強に向けるであろう全ての能力を、俺たち姉弟はそれらに費やした。
 己の全神経を使い、祖父の表情や機嫌、状況などを理解しようとした。
 姉が家事を率先して頑張ってくれているならば、俺はそういった祖父とのコミュニケーションを学び、姉と自分を守るのだと、使えるものは全て使った。
 異変を感じ、教師が突然家庭訪問してきたこともあったようだが、人当たりが無駄にいい祖父だったので、雑談だけして帰っていったこともあった。
 親戚に助けを求めたこともあったが「がんばりなさい」とだけ言い残し去っていった。

 ならば、と。
 どうすれば怒られないのか研究する日々が始まった。
 祖父に言われるより早く買い物を済ませ、酒の用意をして、教わった通りしっかりと刺し身やご飯の用意をし、それらを食卓に並べる。もちろん自分たちのご飯なんてあるはずもない。
 そしてお酌しながらご機嫌とりをするのだ。顔色を伺いながら。
 祖父の話にひたすら「すごいすごい」と笑顔で合わせ、煽てて上機嫌にさせ、祖父のクソが付くほどどうでもいい話を褒め称えてやった。
 機嫌が悪くなりそうになったら必死で話題を修正し、機嫌がよくなるであろう話を振り、自分が何を喋っているのかも、何を口に入れているのかもわからない緊張感の中で、ひたすら耐えて、耐えて、耐えて、耐え続けた。
 不味い料理を祖父が作ったときも無理やり笑顔を作って美味しいと言ってた平らげ、隠れて吐いた。
 食事中、祖父がネズミを捕まえたのか、テーブルに置いてあったジョッキに生きたまま放り込み、そのまま箸で笑いながら突き刺すということもあった。小学校低学年の子供にとって、それは目を覆うほど凄惨なもので、姉が気持ち悪いと席を立つと「あぁ?」と祖父が機嫌を悪くした。それを見た俺はまずいと思い、無理やり笑って「すごいね!」なんて言ったのである。血を噴き出し、もがき苦しみ、逃げられないジョッキの中でのたうち回るネズミを見て、無理やり作り笑いを浮かべたのだ。このとき、俺の中の何かが壊れたような気がした。

 そんなクソみたいな生活が四ヶ月ほど続いたが、死ぬであろうと診断されていた父は奇跡的に息を吹き返し、リハビリの末に無事退院。
 欠損した右足が戻ることもなく、細菌によって傷んだ内蔵は治らなかったが、無事家へと帰ることが出来たのである。
 お父さんとお母さんがいない間もずっとがんばったんだよ、我慢したよ、つらかったよ、大変だったよ、なんて色々話したかったことは山積みだったのだが、会社のこともあってか、それどころではなかったので語ることはなかった。
 ただ、その四ヶ月の生活のおかげで、俺はたくさんのものを学んだのである。
 後の人生で役に立つ大切なものを、得ることが出来たのだ。
 そして同時に、俺は祖父を家族として見ることをやめた。














2.



 祖母が亡くなり、そこからさらに父まで危篤となった挙句、さらには会社まで崩壊しかけ、連鎖するかのように家族もバラバラになるかと思いきや、何の祈りが通じたのかわからないが崖っぷちの状態で留まることに成功したわけだったのが。
 そこからは数年間、特に変化のない日常を送ることとなる。
 正確には様々な出来事が発生していたらしいのだが、あまり印象に残った出来事がないということは、おそらくさほど派手なイベントはなかったのだろうと思う。
 とはいえ実際には色々なことが起こっていたと予想している。
 いつ焼き付くかわからない会社、片足を失って苛立つ父、暴れて八つ当たりする祖父、それらを支えようとして身を削る母、まともに進んでいくわけ無い。そんなわけがないのだ。当たり前だ。
 もちろん俺は全く役にも立てず、ただのお荷物でしかなかった。
 
 さて、父の事故からおよそ五年後経過した頃か。おそらく中学1年生になったぐらいだ。
 俺をずっと守ってくれていた母が急死した。
 死因は病死。事故の類ではない。おそらく普段から相当の痛みがあっただろうとドクターは言っていた。
 それでも病院に行かなかったのはなぜだろう。いくつか理由はあるはずなのだが、もう死んでしまったので聞くことすら出来ない。
 母はもう自分が死ぬをわかっていたのか。
 入院してしまえばもう家に帰れないとわかっていたのか。
 少しでも、父や子供と一緒に過ごしたかったのだろうか。
 死んでしまった今ではもう何も聞けないが。

 ただ、死ぬ間際はおそらく苦しいものではなく、安らかに逝けたであろうこと。
 そして、ただただ頑張って頑張って、苦しい思いをした母は、まだ全然報われていないこと。

 楽になるのはこれからだったのだ。
 だというのに、なぜこのタイミングで死ぬのだろう。
 享年38歳なんて若すぎだ。なんでこんなことになる。 
 まだ、何の親孝行も出来てない。
 俺は何も返していないんだ。
 母の寝ている棺桶を目の前に、そんなことを思った。

 母の死は大きかった。
 特に父にとっては、とてつもないほどの出来事だったに違いない。
 生活も変化し、笑顔も消えた。
 何のために働いているのか。
 何のために頑張っていたのか。
 何のために、何のためだったか。
 
 父が、母の後を追いそうで怖かった。
 そんなのは御免だった。
 母が死んで、さらに頼みの父まで死んだらもう立ち直れそうにない。
 
 家族の要であった母がいた場所にはぽっかりと穴が空いてしまい、そこを補おうとみんな必死だったように思う。
 わざと何も言わないというか、無意識に補おうとするというか。変な感じだったのを覚えている。
 
 そして母の死から数カ月後、姉が全寮制の高校へと入学することになった。
 何やらちとお金がかかりそうなとこだったらしいのだが、どういう話し合いによってそうなったのか不明ではあるが、姉の希望がそこだったようで、なんだかんだ言いつつも家を出てその寮で暮らすこととなったのである。

 さて、そこで残されるのは外道とも言える祖父、片足のない父、そして俺の三人である。
 どういうことになるかは火を見るより明らかだろう。
 女手のなくなった家なんぞ、クソほどもルールもなく、暗く、華のない、つまらない生活が待っていた。

 そして、八つ当たりの対象となっていたのは俺だった。

 逃げ場はなかった。
 命令は絶対厳守だった。
 引きこもっていたような人間である俺には、友達もいなかった。
 ちっぽけな自室に置いてある小説やゲームが、俺の世界の全てだったからだ。
 だが、俺は大丈夫だった。過去の出来事で「平和に過ごす方法」を身につけていたからだ。
 どうやって身を守ればいいかわかっていた。
 もちろん完全に守りきれるわけではなかったが。

 そして選択を迫られていた。
 この腐ったような環境から抜け出すかどうか。
 どうやって抜け出すのか。
 方法はいくつかあるが、どうするのか。

 そんな感じで悩んでいた頃だった。
 今でも覚えている。2004年の11月だ。とても寒い日だった。
 この日の出来事は、11年経った今も忘れられるはずもない。

 当時の俺は14歳。母が死んでから2年ちょいぐらいか。
 冬に差し掛かっているのもあってか、とても寒い時期だったのをよく覚えている。 
 おそらくご飯の買い出しか何かだったと思うのだが、とある日の夜、俺は父と一緒にファミリーマートへ行ったのである。
 もちろん免許なんて持ってないので父の運転である。義足なのでなんとも操作しにくいはずなのだが、文句ひとつ言わず運転してくれていた。
 おそらく時刻は夜の9時過ぎ、仕事が遅くなったのでご飯も遅くなったのだ。だからコンビニに買いに来たのだろう。外は真っ暗だった。雪も降っていた。
 外はもちろん寒かったのだが、店内に入るととても暖かくて安心した。
 ちなみに当時の俺は身長が低くて150cm台、父は185cmほど。父の後ろをついていく感じでうろうろしていたんだったかな。
 お弁当のコーナーに行って何を食べようかなぁと色々見て、たしか俺はカラアゲ弁当を選んだのだ。なんか美味しそうだったからである。
 そして父と共にレジへ向かった際、戸棚にとあるゲームが置いてあった。
 それは『キングダムハーツチェインオブメモリーズ』というゲームボーイアドバンス専用ソフトで、前作をやった俺は、もちろん買おうと心に決めていたゲームソフトだったのだ。
 とはいえ母の死、家庭の状態からすっかり忘れていて、改めて頭を金槌で殴られたような気分であった。なんせ俺はそのシリーズの大ファンだったからだ。
 しかし、もちろんお小遣いなんてあるはずもなく、というか「お小遣い」というものを貰ってない俺には数千円なんて出せるはずもなく、かといって父にほしいと言える勇気もあるはずもなかった。父には恐怖心ばかりあったからだ。

「……ほしいのか?」

 俺の視線に気づいたのであろう父の言葉が、頭上から降ってきた。

「え、いや、あの」

 欲しい、だなんて俺には言えなかった。
 いやそれどころか、怖くて父の顔すら見れなかった。欲しがったりなんてしたら、あとで怒られるかもしれないだなんて、子供にありがちな考えだった。
 しどろもどろになる俺を他所に、父はそのソフトを鷲掴みしてレジの人へ差し出した。

「これも頼む」

 俺は目を剥いた。信じられない光景だったからだ。
 あの父が、欲しいとすら言ってないゲームを買ってくれる、らしいことに。
 
 父は購入したゲームを受け取ると、状況が飲み込めない俺の胸めがけ、ポンと放った。
 慌てて受け取った俺の手のひらには、ずっとやってみたいと思ったゲームがあった。
 欲しかったけれど、誰にも言えなかったものだった。

「ぼ、ぼく」

 俺は謝ろうとしたのだろうか。
 おそらく怯えていただろう俺の頭に、父は手を乗せた。
 片手には二人分の弁当が入ったビニール袋を持ち、義足を引きずりつつも、俺の頭を不器用に撫でた。

「欲しかったんだろう?」

 そう言って控えめの力で撫でてくる父の手は、とても大きく、そして所々傷だらけ、火傷の痕も見える。少し汚れていて、さらに人差し指は第一関節から先がなかった。
 その手はまるで、その人の人生を語っているかのようだった。

 いったいこの手は、何のためにこれほどまでにボロボロになってしまったのだろうか。
 俺は知っている。もちろん知っているはずだった。
 会社と祖父を捨てて、母や俺たちだけを連れて逃げる方法があっただろう。それをしなかったのは祖父を守るためだ。家を守るためだ。祖母が守ったものを、守るためだ。受け継ぐためだ。
 自分の夢も、希望も何もかも、趣味も宝物も犠牲にして、ただひたすら働いて、休む間もなく。
 たとえ全てを投げ出したくなるほど辛いことがあったとしても、噛み潰し、飲み込み、耐えて、最悪の場合は己を命を差し出すことも考えて。
 義足が原因で転び、脂汗が出るほどの痛みがあろうとも立ち上がり、何度転んでも立ち上がり、諦めずに仕事をし続けていたその背中を、俺は知っていた。
 そんな父にとって、母の死は、生きる理由を失うほどの出来事だった。
 今まで頑張ってきたのは何だったのかと、全てを放り出してしまおうかと思うほどのことだったのだと思う。
 だが父は投げ出すわけにはいなかった。
 なぜか。
 俺は知っているはずだ。
 知っていなくてはならない。

 その理由とは、俺と姉だ。

 折れかけてしまったであろう父の心を支えとなったのは、おそらく、自分たちだ。
 
 夢を失い、母も失い、妻も失っても、それでも子供だけはと、守ろうとした手が、目の前にあった。

「さあ帰るか」

 そう言って、義足を引きずるかのように歩いて行く父の背中を、俺は追った。
 寒い日だった。周りには人っ子一人いなかった。雪は止まらず振り続けていた。
 俺は胸に抱えたゲームを抱きしめた。
 そして、心の中でずっと父に謝っていた。
 
 頼りなくてごめんなさい。
 全然役に立てなくてごめんなさい。
 助けられなくてごめんなさい。
 でもいつか、役に立ってみせるから。
 頑張るから。もっと頑張るから。
 僕が――いや『俺』が父の右足になるのだ。
 何かあったときには俺が動けばいい。
 信用できない他人なんて必要ない。
 俺が足になるんだ。

 そのゲームのパッケージは、今も家の中に置いてある。
 あの日の決意は、俺の人生を変えるほどのものだったに違いない。
 
 ちなみに11年経った今、父にこのときの話を聞かせたが「そんなことあったっけな」とそっぽを向いてしまった。
 本当に忘れてしまったのか。それとも本当は覚えているのか。いったいどっちなのだろうか。
 実際のところ、何もわからないままである。











3.


 そして、さらに5年の歳月が流れた。
 俺は19歳となり、背の高さも身体つきもだいぶ成長した。
 仕事も少しずつ安定していって、加えて生活の方も段々と落ち着いた。慣れというやつだろう。
 俺自身も昔より役に立てるようになったらしく、頼られることが増えてきたみたいで、それが少し嬉しかった。
 さらには不思議な縁があったようで、父に彼女が出来たらしい。なんだか幸せそうであった。
 とはいえ俺は変わらず友達もおらず、恋人なんて出来るはずもなかったが、それでもこの安定してきた日々がかけがえのない大切なものであることはもちろん理解しており、それを築き上げるためにどれほどのものが必要であったかは、語るまでもない。

 そんな最中である。
 2009年のクリスマスイヴに、それは起きたのだった。

 その日の朝、やたら身体が重かったのをよく覚えている。
 さらには食事はなんか不味いは頭も重いわ気分は悪いわで最悪だった。
 せっかくのイヴだし美味しいものでも食べようと思っていたにも関わらず、なんでこんな体調不良に悩まされなければならんのだと頭を抱えていた。なんせイヴである。聖夜なのだ。俺みたいな引きこもりといえど、なんか心躍る日なのであった。
 とはいえ仕事がやたら忙しいのもあり、休んでいる場合でもないので出勤。なんとも身体が動かし辛い状態だったのだが、これは無視した。そんな場合ではないのである。
 
 そして昼頃になると、体調の悪化はますます酷いものとなっていった。
 目眩がする。
 なんだかとても気持ち悪い。
 食あたりだろうか。変なものでも食べただろうか。まさか今朝食べた明太子か。
 なんて思いつつふらふらしながら仕事をしていたのだが、もはや立ってられないほどの気持ち悪さになってしまったので、俺は父に頭を下げ、午後からは休ませて欲しいとお願いをした。
 凄く忙しかったので怪訝な顔をされたが、俺が体調不良でこういったことを言うのが珍しいせいか、却下されることもなく、帰宅して休むことを許可してもらった。

 家に帰り、服を着替えてベッドに入る。
 気分が悪い。目眩も治まらない。
 なんでクリスマスイヴなのにこんなことになるんだ。どんだけ不運なんだ俺は。
 そんなことを思いつつ、目を閉じた。
 日頃から積み重ねた疲労が原因だったのかもしれないが、俺はすぐ深い眠りに入った。






 これが、いけなかった。












 頭の中で嫌な音がした。
 それはまるで、繋がるはずのないものを繋げたかのような不協和音。
 このときの音は今でも忘れられないし、聞いたことがない音だった。
 不思議に思いつつも、俺は目を開けた。
 壁にかけられた時計を見る。
 時刻は夕方の六時頃。なんと半日近く寝ていたらしい。寝坊助にもほどがある。
 父はどうなったんだろう。そもそもご飯の段取りもしてないし、何も買っていない。冷蔵庫には何も入ってない。どうしよう。
 二度寝してしまおうかと思ったのだが、さすがにそんなわけにもいかないだろうと立ち上がろうとし、俺はそのまま顔面から床に突っ込んだ。

 何が起こったのか理解できなかった。
 膝が笑っている。力が入らない。
 さらには激しい頭痛。
 頭が割れそうだ。まるで後頭部を殴られているかのよう。
 口の中では血の味がする。凄まじい吐き気。
 意識が朦朧とする。地面を見てるのか天井を見てるのかわからない。俺は寝ていたのかそれとも起きていたのか。ここはどこだったか。
 必死に立ち上がろうとするも、動こうとすれば頭痛に襲われ、激しい動悸によって邪魔される。
 苦しい。頭が痛い。気持ちが悪い。
 それが日常からかけ離れた異常であるとすぐ理解した。
 それから少し時間をかけつつもなんとか立ち上がったが、体調がまるでよくならないことを確認すると、俺は這うような動きで財布と保険証を抱え、父のいる事務所へと移動した。これは病院に行った方がいいだろう。



 近くの病院で診察してもらったが、原因がさっぱりわからないということでそのまま紹介状を書いてもらい、少し大きな病院へと向かうこととなった。
 移動中も体調は最悪で、頭はひたすら殴られているかのようだし、少しでも動いたら倒れてしまいそうだった。
 向かった先である大きな病院は、やはりそれだけ歩かなくてはならない距離も長く、受付へと向かうときはもう地獄のような痛みと気分の悪さではあったのだが、義足を引きずるかのように俺に付き添ってくれる父を思うと、弱音なんて吐けるはずもなかった。
 顔は酷く歪んでいただろう。自覚していたが、あまりにも痛いため隠すことすら出来なかった。
 ゆっくりゆっくり歩いていた俺を見て、さすがに看護師さんも何かを感じたのか、車椅子を手配しようかと申し出てくれたのだが、なんだか情けない気がしたので断っておいた。案内された診療室ぐらいまでなら歩ける。甘える訳にはいかない。
 さすがにクリスマスイヴということもあってか、病院内は静かだった。人がいないというべきか。
 そんな中、俺は担架に寝かされ、検査が開始された。
 この辺りはもう記憶が曖昧だ。意識が混濁気味だったから仕方ないのかもしれないけれど。
 何やら検査していくうちに周りが慌ただしくなっていく。なんだろうか。よくわからない。何かあったんだろうか。
 病院についたから安心したのか、なんだか少し眠かった。
 そんな風に思っていたら慌ただしくどこかへ連れて行かれる。今度はなんだ。
 話によると胃カメラで確認するとかなんとか。なにそれ怖い。胃カメラってなんだ。どうしてそうなる。
 よくわからないまま部屋に運ばれ、なんか細長い何かを飲まされる。気持ち悪さに拍車がかかり吐きそうになるがなんとか堪えた。なぜこんなことになるのだろう。
 確認が終わったのか、胃カメラをが引き抜かれる。そして医師からゆっくりしていなさいと指示された。
 部屋の向こう側から父の声がする。もう一人は医師だろうか。説明でも受けているのだろうか。
 誰か状況を説明してくれないだろうか、なんて思っているとさらにどこかへ連れて行かれる。今度はなんだろう。少し怖かった。
 そして部屋に運ばれ、ベッドに移動される。
 訳がわからんという俺の顔を察してか、医師が色々説明してくれた。

 俺が今、出血多量によって失血死寸前であるということ。
 その原因は胃からの出血によるものであること。

 そして、あのまま寝ていたら俺は間違いなく死んでいたであろうということ。
 
 現実感のない話ばかりだった。
 でも本当なんだろう。
 身を持って理解せざるを得ない。

 そして父と彼女さんの二人が部屋に来た。
 仕事は大丈夫だろうか、なんて聞いたら頭を押さえつけられた。

「考えるな、お前は寝てろ。大丈夫だから」

 そう言って、着替えやらなんやらを後々持ってくるということを俺に説明した後、二人は帰っていった。
 何が起きてるのかわからないうちに入院することが決定し、なんだか不思議な感じだった。
 呆然としていると、今度は姉が見舞いにやってきた。
 姉は俺を見ると目を見開き、涙を流した。
 その光景が、まるで小さい頃に見た父のようで、凄く怖かったのだと語ってくれた。
 ごめんね、そう言って抱きしめてくれた姉に、俺は大丈夫だと言い聞かせ、面会時間もなくなってきたので帰るよう伝えた。
 姉の話によると、このときの俺は唇が真っ青を通り越して紫色になっていたようで、どこを見ているのか微妙な状態だったらしい。
 だからかもしれないが、何かあったらすぐケータイで電話しろと念を押してくれていた。優しい人である。

 そして俺は1人になる。

 ベッドから眺める天井は真っ白。

 変な気分だった。

 まさかクリスマスイヴの日に、こんな状態になるだなんて思いもよらなかった。

 現実感のない状況が、少しおかしかった。

 そして段々と、意識が保てなくなっていく。

 きっと人手が足りないのだろう。輸血はいつになっても始まらなかった。

 視界が変だった。なんだか砂嵐のようになっていく。

 腕を上げようとしても、力が入らなかった。

 痛くて痛くて仕方なかった頭痛は、いつの間にか消えていた。

 苦しくて辛かった激しい動悸も、なくなっていた。

 とても楽になった。

 自分がどこを見ているのかも、よくわからない。

 俺は目を開けてるんだろうか。閉じているのだろうか。

 何も見えない。何も感じない。

 本能で理解した。これが死だ。これは死ぬ。このままでは死ぬ。
 
 だがどうすることもできない。もう、俺にはどうにもできないのだ。

 自分は死ぬのだと理解してからは、もう抵抗する気すら起きなかった。

 仕方ないのだろう。これが結果なのだろうと受け入れた。

 死ぬ間際になったら自分は何を思うのだろうと考えたことはあったが、大したことは思わなかった。

 ただそれでも、悔しかった。

 俺は、俺は役に立てたんだろうか。

 父の左足になれたのだろうか。何かをできただろうか。力になれたのだろうか。

 思考すら鈍っていく。消えてしまう。本当に死んでしまう。

 後悔はなかった。やるだけやれたはずだった。

 でも、それでも。

 目の端から涙が零れたがわかった。

 もう終わりだと理解をして、全てを諦めた。

 ごめんね。

 自分は終わったのだと悟り、そこから絞り出した最後の言葉は、謝罪だった。
 
 俺はそのまま、意識を失った。
 










































































 手に違和感を感じて、目が覚めた。
 ゆっくりと目蓋を開くと、そこにはどこか疲れた顔をした看護師さんがいた。
 さらによく見ると、どうやら輸血をしてくれているらしいことがわかった。
 俺が起きたことに気づいたらしく、看護師さんは微笑んだ。
「だいじょうぶですか? 安心してくださいね」
 声すら出なかった俺は、こくりと頷いた。
 それを確認すると、看護師さんはニコリと笑い部屋を後にした。
 そして俺は点滴台を見つめた。
 そこには真っ赤な袋がぶら下がっている。輸血パックというやつだろうか。
 つまり、もう大丈夫ということらしい。
 だからだろうか、俺はまたすぐ意識を失ってしまった。


 何かの物音でまた目が覚めた。
 時計を確認するとまさかの早朝四時。どんだけ長いこと寝ていたんだろうか。
 点滴台を見やると新しいパックに変わっており、休まずひたすら輸血してくれいたらしい。
 そして俺は何を思ったのか、ベッドから降りる。
 脳みそがひっくり返ったかのようだった。頭痛も戻ってきた。吐き気もだ。
 だが生きている証拠だった。俺がここにいる証拠だ。
 俺はそのまま点滴台に縋りつつ部屋を出た。
 辺りを見回すと、すぐ近くに階段があった。
 さらには標識のようなものが貼ってあり、ここが最上階であることがわかった。この階段を上れば屋上らしい。
 そしてどこにそんな力があったのか、俺は点滴台を抱え上げ、階段をゆっくり上り始めた。
 本当ならエレベーターを使いたかったのだが、ナースステーションが目の前にあったので通りたくなかったのである。
 このとき自分が何を考えていたのかは今でもよくわからない。

 重たい扉をがちゃりと開けると、広い屋上に出ることが出来た。
 ベンチのようなものがいくつか置いてあり、人っ子一人見当たらなかった。
 まだ早朝四時だからだろうか、外は真っ暗で、屋上から見ても国道を走っている車が疎らだった。

 そして俺はゆっくりと移動し、ベンチに腰掛けた。
 屋上からの景色はとても綺麗だった。
 俺はこんな光景を長いこと見ていなかった。
 それはそうだ。ずっと引きこもっていたのだから。景色なんてものを見たのは何年ぶりだっただろう。
 人の気配もなく、まだまだ暗いからだろうか、とても静かだったけれど、屋上だからか風の音が少しうるさかった。

 だから、いいんじゃないかと、思ったのだ。
 膝の上に乗せていた手の甲に、涙が零れた。
 喉から嗚咽が漏れる。
 ここなら誰にも迷惑がかからないと、俺は思ったのだ。
 誰も見てないから、もう大丈夫なのだ、と。
 最初の涙がこぼれてしまうと、あとはもうとめどがなかった。

 辛かった。

 苦しかった。

 寂しかった。

 話せなかったんだ。

 本当は助けてほしかったんだ。

 誰にも見られてはならないと、それらを胸に抱えて必死で隠した。

 抱えたものが膨らんでも、それでも見られまいと、俯いたまま歩いていた俺は、もう、転んでしまったのだ。

 そしてぶちまけられたそれらは、俺の気持ちの欠片だ。
 幼いあの日から、ずっと抱え続けた俺の奥底にあった気持ちだった。

 父の背中を追って、ただひたすら歩いて、歩いて。

 あんなに頑張っている父がいるのに、弱音を吐いてどうするのだと。

 たくさんの人たちにかけられた『頑張れ』という言葉が、励ましから重圧へと変化した。

 君がお父さんを支えるのだと、君が頑張らねばならないのだと、そう言われる度に、何かに亀裂が入った。

 俺が、俺が、俺が、俺が俺が俺が俺が俺が。

 みんなが求める俺とは、何だろう。

 本当の俺は、いったいどこへ行ってしまったんだろう。

 そんな俺はもう、限界だったのだろうか。

 抱えきれなくなって、もう何もかもこぼしてしまった。

 堰を切ったように泣き咽ぶ。大粒の涙が、次々と落ちていく。

 それはまるで、これまで積み重ねた全てが溢れ出るかのようで、止まることはなかった。

 生きてるのが悔しいのか。

 死ななかったのが嬉しいのか。

 俺は死にたかったのだろうか。

 俺は生きたかったんだろうか。

 でも、死は怖かった。

 たった一人で迎えたその死は、俺の想像を越えるほどの孤独だった。
 
 そんな俺が泣き止んだのは、もう朝日が登る頃だった。



 その後、病気の原因は不明と判断され、ひとまず絶飲食となり、長い期間入院することとなった。 そしてその日から、俺の中で何かが変わったのだ。
 何が変化したのかはわからなかったが、何かが大きく変わってしまったようだった。
 それがいい方向なのかどうかはわからないけれど、少しでも、以前より楽になったのは間違いなかった。 
 明確なのは、以前より涙もろくなってしまったということだろうか。
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_(:3 」∠)_

コメント

No title
さーて、お久しぶりねのこんにちはー《゚Д゚》

何やらシリアスと聞いて覚悟していたが想像以上に修羅場すぎた((((;゚Д゚))))
たつさんの祖父の話は昔ながらの人なら体罰が普通な時代もあっただろうから多少は暴力的な人もいただろうけど、たつさんとこのは度が過ぎているどころではなく人格に問題がありすぎたようにしか思えず、人を自分の道具程度にしか見てないんじゃないかと感じてしまった。

会ったこともなく文章を読んだだけで人を判断するのもどうかと思うが、子供相手に理由もなく暴力をふるいただ己が楽しむためだけに家族や他人へ負担をかけるだけの性格の人間がなぜそんな偉そうにしていられるのか
そもそも自分の妻や会社の専務が亡くなった原因もたつさんの祖父が苦労をかけさせすぎたからではないのか
ろくに休むことも出来ず、病院に行く時間もなく結果助かるはずの命が帰らぬ人になってしまったのではと思わずにはいられない
まぁ、そのおかげで世渡りの仕方を覚えれたのかもしれないがあまりにもこの経験は悲しすぎる

お父さんの予感はある意味確信だったのかもしれない、流れからしてそれまでの苦労が全部しわよせとしてやってきても何の不思議もないのだから
自分も小さい頃母が病院に寝たきりだったことがあるけど、何が何だか分からなかった
ただ大変なんだなということだけが頭の中でぐるぐる回って徐々に不安が押し寄せて泣きそうになったことははっきり覚えてる
こういう時そばにいてくれる家族のありがたみを感じることが出来たなぁ
だからこそ自分の母が亡くなった時は色々と虚無感に襲われてしまったが
でも楽しいこともあると今ははっちゃけて生きてますがね(。・ ω<)ゞ

たつさんのお父さんがゲーム買ってくれたのはきっと精一杯の愛情表現だったんだろうなぁ
自分も小さい頃父と買い物に行った時に当時好きだったヒーローの玩具を物欲しそうに見ていたら「これ欲しいのか」と言われて控えめに「うん」と言って買ってもらったことがあるから自分と重ねて見てしまった
自分が買ってもらったやつは残念ながら引越しのした時に無くしてしまったけど、あれはいい思い出として残ってる
たつさんのお父さんはその時の話をしても照れくさいだけだと思うからあんま話しすぎてもいけないかもw
聞いてるこっちはニヤニヤしているけどw

クリスマスの時の話は自分も似たような経験を何度かしてるから他人事に思えず、驚いてしまった
まぁ自分の場合は白目むいて痙攣しながら舌を切っていただけらしいが、何故そうなったのかは不明だったらしい・・・
今はもうそんなことないから大丈夫だけど

とりあえず言えることは人生必ず楽しいことあるから、溜め込まないようにということ
まぁ自分も人を頼らなすぎと言われまくってるのでこんな事言えないですんがね!!(ゝω・´★)

さて長くなりすぎたけど、今回はこの辺でー!!
何かあれば相談はするように(`∀´)
ではではさらばー!!ヽ(・∀・)ノ
No title
>まおーさん

こんにちわ( ´▽`)いつもいつもありがとうございます!
って、まあ変な人だったなあと今更ながら思いますね・・・
とはいえ最初から悪な人はいないので、きっと何か色々なことがあってああなったのだとは思うのですが、それでも俺にとってはけっこうキツイ人物でありました(´・ω・`)ギャー

というかまおーさんも悲痛なう雰囲気な人生があああああああww
母の死は辛いですよね(´;ω;`)
おそらく亡くなった身でないと理解できないというか・・・
まおーさんは、今はもう落ち着いているのでしょうか、大丈夫なのでしょうか、ご飯ちゃんと食べてるのでしょうか・・・
はっちゃけてるとはいえ、体調に気を付けて、自分を大切にしてくださいね・・・w

父については謎が多いので秘密ということでw!
でもやっぱり両親にはいい思い出がありますよね( ´▽`)
ああいう買ってもらったものって、大人になっても覚えているものです・・・

てか舌を切っていた!?
クリスマスに(;・∀・)!?
いったいなにがどうしてそんなことに・・・
とはいえ意味のないことは絶対にありませんから、きっと何かあったんですね・・・
まおーさんもたまには人に愚痴ったり、弱音吐いたりしないとだめですよw!
潰れてしまってからでは遅いのです!
だからさあ!!!!もっと愚痴るとよいのです!!!
さぁさぁさぁさあ!w
本当に、いつもありがとうですまおーさん!*˙︶˙*)ノ"
No title
久しぶり! というか投稿も久しぶりかな(笑)
コメント残さなくてもしっかり読んでるからね(´・ω・`)b

 前の猫のこととか今回のこととかスカイプ語ったこととかから
たっちゃんが波乱万丈な人生を送ってるってことはわかってて,
だからこそ今たっちゃんが幸せそうに彼女さんのことをヒャッハーしてるのは
微笑ましいし,なんだか自分のことのようにうれしい.
 
 知り合った当初から優しかったし,いろんな人から人気者だったから,自分がクラン抜けるって言ってみたり,頻繁にしてたのは今思えばたっちゃんがいろんな人に取られて,少しはかまってほしかったからなんだろうなって思うよ(笑) あのときは幼稚臭かったなw 世話をかけました(;^ω^)

 なんかこんなこと言っていいのかはわからないけど,どこの家も大小あれど苦難ってあるんだなって改めて思ったかな.逆に自分のことなんてまだまだちっぽけに思っちゃった・・・.
 たっちゃんは家庭環境的な部分で難しい状態だったってことは知ってたけど,たっちゃん自身の身体的な面でもいろいろあったんだね.
 というか予感とか繋がりっていった人間の直感ってある意味恐ろしいね・・・(女のかんとか).
 たっちゃんの消化管出血が原因不明っていうところも引っかかるし,それも繋がりだったのかな.
でも,たっちゃんのお父さんの家族を支えたいという強さ,たっちゃんの家族の力に加わりたいという勇気,たっちゃんのお母さんやお姉さんが添えてくれる温かさとかそういったものが負の繋がりを少しずついい方向に変わるように働いているんじゃないかな.
 
 たっちゃんはいつも明るいし性格がうらやましいくらいいいから,こういった内面的なこと全然漏らさない分,過去のことを聞くとちょっと心配になるよね.まぁたっちゃんはいい友達をたくさん引き付ける良縁があるし,相談できる友達はたくさんいるから心配いらないかw今はパートナーさんだっているし・・・(たっちゃんの人脈がうらやましい( ;∀;))
内面的なことは信頼できる限りの人でもいいから愚痴ったり,相談することは大事だよ!溜め込まないようにね あと無理しすぎないようにね(*'ω'*)
 また,リアルであって食事でも!もしくはみんなでオフ会を楽しみにしてます(*´▽`*) 
p.s. 文章力.ボキャブラリーがひどくてごめんよ(*_*)




No title
>キリちゃん

きりたそおおおおおおおおおおおおおおおお(*'д'c彡☆))Д´)パーン
久しい!久しいよ!いやマジでww
っていうか長いだろうに読んでくれてありがとね・・・w

なんだかんだとキリちゃんには色々愚痴っちゃったからね・・・
いつも聞いてくれてほんとさんきゅーよ・・・
というか新事実があああああああああ!!!!
俺はどう考えてもモブなんだけどちょっと過大評価があああ!!!

とはいえ色々な要素が絡み、その結果がたまたまこうなっただけだから、きっと運がよかっただけなんだろうなあって思ったよ・・・w
少し道を間違えば、おそらく全然違う方向に進んでただろうからね・・・(´・ω・`)怖いよね。

そしてキリちゃんは自分を過小評価しすぎよ・・・
その雰囲気と性格があれば色んな人っていうか、たくさんの人が近づいてくれるはずさ!俺とか俺とか俺とか俺とかも!!
きりちゃんもあんま悩んじゃだめだぜ!!w
開きなおるのってけっこう大切だと思うんだ!テキトーな感じだけど、ほんとよ!
声かけてくれてありがとう(ノ∀'*)キリちゃんもマジでもっと愚痴るべし!!!!!!

てかごまちゃんとやどりーぬがオフ会しよーぜー!みたいに言ってたから、機会があれば集まれそうw
問題はみんなが遠いことだあああああああああああ。゚(゚´ω`゚)゚。ピー

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